3/4/2022

『オールド・ブラウン・シュー』のドラムはポールが叩いているのか?問題

ツイッターで知ったのですが、『オールド・ブラウン・シュー』のドラムはポールが叩いているという説があるそうです。
えっ!

映画『マジック・クリスチャン』撮影のため、リンゴはレコーディングに不参加だった、というのです。
この話の出どころは『Abbey Road 50th Anniversary Super Deluxe』に封入された冊子だそうです。
一方、他の複数のビートルズ本ではこの曲のドラムはリンゴとされています。
はたしてどちらが本当なのでしょうか?

シングル盤『ジョンとヨーコのバラード』はジョンとポールの二人だけで録音されているのは有名な話ですよね。
ドラムはポールが叩いています。
それで、このシングルのB面『オールド・ブラウン・シュー』は対抗してジョージとリンゴだけで録った、という珍説まであるそうな。さすがにそれは「そうだったら面白いよね」というネタでしょう。

ポールのドラミングといえば、一番の驚きはやはり『ディア・プルーデンス』。

https://www.rittor-music.co.jp/s/beatles/page02.html

ドラムをとちったのをポールにからかわれてキレたリンゴはスタジオから出奔。
しかしリンゴ不在にもかかわらず、こんなドラマー顔負けの傑作をレコーディングされた日にゃあ、リンゴもド焦ったのではないでしょうか。

それにしてもポールはいったい何なの!?
ビートルズ唯一の16ビートであり、特に最後の方の連続フィルインの盛り上がりは凄くカッコいい!
なんだ天才か。

ビートルズのカバーバンドをしていた頃、この曲のドラムを叩くのが大好きでした。
もしかしたらビートルズで一番叩くのが楽しい曲だったかも。

だからなおさら、実はポールが叩いていたことに驚くとともに、天才ポールの凄さを改めて実感しました。

ですが『オールド・ブラウン・シュー』のドラムとなると、さすがにポールが叩いているとは信じ難いんですよね。
以下に理由を挙げます。
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15/3/2022

なぜか走っても走っても近づけないエッフェル塔と自由の女神

嫁氏撮影、パリの自由の女神🗽
iPhoneの手ブレ補正機能って凄いんですね📱
車はけっこう揺れてるのにかなり滑らか🚗
そして何故か走っても走っても近づけないエッフェル塔w🤣
どうして近づけないか、おわかりいただけたでしょうか?
ささやかなアハ体験をお楽しみください😳

  

Comments (0) やってみた Tags: , , — Kyo ICHIDA @ 2022/03/15 04:26
23/2/2022

Blender 始めました

御茶ノ水時代にアルバイトしてくれていた若い友人の勧めで、遅ればせながらBlenderを始めました。

Blenderはオープンソースの3DCGソフトウェア。
長年に渡り開発が続けれられ、無料であることから大人気です。

先ず勧められたのが、この超有名なドーナツのチュートリアルでした。

3DCGから遠ざかって久しいですが、凄く多機能でレンダリングも綺麗なことに驚かされます。

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この投稿をしたら、食べられるドーナツを作ってると勘違いされました。
ちなみにこのCGがわりとリアルに見えるのは、HDRI(ハイダイナミックレンジイメージ)というパノラマ画像を使って、現実環境に近いライティングをしているからです。

ですが操作感が他の3Dソフトとはかなり違っていて慣れが必要ですね。
昔から使っている人に言わせると、
「これでもだいぶ良くなったんですよw」
とのこと。
そうなのですねw

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それにしても十年ぶりくらいに3DCGをやってみたら、これが凄く楽しいんですよね。
やはりBlenderが色んなことが出来そうな可能性を感じさせてくれる、攻略し甲斐のあるツールであることが大きいです。
初心者になって勉強するのも老化防止に役立ちそうなので、楽しみながら続けたいと思います。

  

20/2/2022

益々膨らむバッテリー、益々膨らむMacBook Pro

以前こんな記事を書きましたが。

それから約1年後、こんなことに…

こんな姿になってしまったMacBook Proですが、意外にも動作に支障はありません。
内蔵見えちゃってますけど、それで風通しがいいのかも?
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Comments (0) 日常の疑問 Tags: , , — Kyo ICHIDA @ 2022/02/20 21:12
15/1/2022

舛岡さんの押しかけ弟子

美術デザイナー舛岡秀樹さんに初めて会ったのはぼくが小学生の頃だった。
父が働く会社サンク・アールの若いお兄さんという感じで、たまにしか会わないのに子供の直感のようなものでハートのあったかそうなひとロックオンしていた。
父の弟子だったそうだけれど、当時はそういう師弟関係とかは全くわかってなくて、ただ職場に遊びに行くと皆いつも何か面白そうなことをやってるなー、と思って眺めていた。

その後舛岡さんは独立してデザイン事務所、ウエストコートを設立。
雑誌『コマーシャル・フォト』に載った舛岡さんの特集は作例が凄くカッコよかった。
当時はコマフォトで美術デザイナーが特集されること自体、稀だった気がする。

ぼくの方は父と同じムサビに入り、たまたま旅行で訪れたパリに残ってしまいムサビ中退。
結果的に父と似たようなルートを辿っていたのは、父の仕事や父自身に興味があったから、というのもあったと思う。
けれども2年のパリ留学を経て、さぁもう帰国して修行し始めようと考えたとき、真っ先に浮かんだのは舛岡さんのウエストコートだった。

サンクという選択肢は全くなかった。
その頃は父がサンク・アールの社長になっており、父の会社では修行にならないと思ったからだ。
サンクの創業メンバー5人の息子たち(幼馴染)のうち、知る限りでは2人くらいサンクに入ったようだけれど、良く云えばアットホームな雰囲気にぼくはどこか馴染めなかった。

修行するなら厳しい環境に身を置かねば、という若さゆえのストイックな思い込みが、パリで2年間自由気ままに過ごした反動としてあったのかもしれない。
帰国便の中で舛岡さんに手紙を書き、押しかけ弟子となった。
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Comments (4) 追悼文 Tags: , , , — Kyo ICHIDA @ 2022/01/15 19:49