26/12/2020

片目の犬

ぼくが小学校三年生くらいだった頃、通っていた小学校の近くにときどき片目の犬が出没することがあった。
子供時代にたくさんあった怖いもののひとつだ。
大きな犬だし何しろ片目なので、不吉な感じがして同級生の間でとても恐れられていた。
今では考えにくいけれど、昭和の当時は飼い主不詳の野良がまだ東京の真ん中にいたのだった。

ある日ぼくは学校の図書室でシャーロックホームズ・シリーズの『呪いの魔犬』という本を借りて、放課後いつもよりちょっと遅めの時間帯にひとりで下校した。
すると帰り路、今までは遠目にしか見たことのなかった片目の犬が、ゆっくり近付いて来るではないか。
潰れた目はかさぶたがグロテスクに腫れ上がっている。
そして恐ろしいことにぼくについて来る。
通りにはひと気がほとんどない。
だんだん距離を詰め、付き纏ってくるので怖くてたまらず、近くの書店に逃げ込んだ。

そこは重度の活字中毒の祖母がお馴染みでツケで買える本屋さんだったので、暫く居させてもらった。
いつものように立ち読みをする気も起きないほど不安に襲われていた。
「また犬が来たら何処かに入るのよ」と言うお店の人。
このままじゃ帰れないしそろそろ大丈夫かなとお店を出る。

でもまたすぐに見つかってしまった。
なんでこんなことになったんだろう、『呪いの魔犬』なんていう縁起の悪そうな題の本がランドセルに入っているから!?
もうほとんど半泣きだった。

そして学校から家までまだ半分の道のり、裏通りの十字路で、痩せてヒョロヒョロの小学生は片目の犬にとうとう押し倒された。
のしかかられ、潰れた目の細部まで間近ではっきり見えて、もう絶望的な恐怖だった。

ちょうどそのとき、見知らぬおねえさんに連れられたラブラドールのようなやはり大きな犬が通りかかって、片目の犬と取っ組み合いの激しい乱闘になった。
その隙に見知らぬおばさんが助け起こしてくれて、お礼もそこそこにぼくは逃げた。
恐怖で振り返ることもできず、また追いかけて来るんじゃないかとビクビクしながら走れない脚で必死に急いで家までたどり着いたのだった。


ふと思い出してこのトラウマ体験談を妻にしたところ、妻は
「きっとキョウくんとお友だちになりたかったんだねぇ〜」
と遠くを見るように言った。

そしたらそのとき本当に不意に、
「もしかしたらそうだったのかもしれない」
というそれまで思ってもみなかった漠然としたものが数十年の時を経て浮かび上がってきた。

片目の犬はぼくに執拗にちょっかいを出し続け、終いには押し倒したけれども噛み付いたりはしなかった。
とてもお腹が空いていて、何かおくれというサインだったのかもしれない。
「フリーランスなんですがお宅で雇って貰えませんかね?」
という激し過ぎる就活アピールだったのかも。
あるいは、通じるものがある同類だと思ったのか。

ぼくは恐怖に捕らわれるあまり片目の犬の潰れた眼ばかりを気味悪がり、潰れていない方の眼が何を訴えているのか見ようともしていなかった。
姿かたちが怖かったり醜いからといって、中身までがそうとは限らないのに。

たとえ当時そのことに気づけたとしても、正直どうにもできなかっただろうとは思う。
無力は今も変わらないままだけれどもういい歳なんだから、せめて見る眼を曇らせないようにしたい。

その後、片目の犬の姿を見かけることは二度となかった。あの後どうなったんだろう……。
ちなみに『呪いの魔犬』は読む気になれず、翌日速攻で返却したのでした。

  

Comments (0) エッセイ Tags: — Kyo ICHIDA @ 2020/12/26 08:45