26/8/2008

仲田薫子さんへ

20051219
20051219
2005年12月19日
東京都写真美術館にて
20080115
2008年1月15日
MEPにて ローザンヌのレイラさんと
20080115
手ブレやピンぼけばかりで申し訳ない…
20080115
2008年1月15日
MEPでのひとコマ
20080124
2008年1月24日
Galerie CAMERA OBSCURAにて ラルティーグ財団代表のマルティーヌさんと
20080124
時事漫画でサルコジ大統領と共演! ガブリエルさんが薫子さんに送り、それを送ってくれたもの.「Shoji Uedaの平和の世界を乱すサルコジの巻」
 
訃報 P1
訃報 P2

薫子さん、どうしてもお礼が言っておきたくてこれを書いています。

考えてみると、津田さんのご紹介で知り合ってから実はたった3年しか経っていないのが不思議なくらい。ずっと前から知っていたように感じるのは、初対面のときからわびすけとどばた話で盛り上がったり、ほぼ同学年で共通の話題もいっぱいあったからかもしれないけど、それだけではなくどこか心の中で何か近い部分があったからのような気がします。

心臓に問題を抱えていても、常にポジティブで知的でユーモアがあった薫子さん。
人なつこく誰でも分け隔てなく同じように接して (ときに座敷童や幽霊?にまで!)、人と人を紹介し繋ぐのもとても上手、その人間力は真似したくても真似できない目標でした。

去年11月パリで約1年ぶりに再会したとき、酸素吸入が必要になっていて体力もかなり落ちた様子に、内心ショックを受けました。
でも内面はちっとも変わらず、それどころかパワーアップしてたくらい!
きっと、大きな目標に向けて体力的にはかなり無理をしていたのですね、ただ悲壮感とかは微塵もなく、本当に好きで楽しいから頑張っているのが伝わってきました。
思えばこの3年は凄く濃かったですね。僕が把握しているだけでも・・・:
マドリード、ローザンヌ、パリ、ニューヨーク、そして日本での数々の打ち合わせやヴェルニサージュ、東京都写真美術館での展覧会、佐野史郎監督の画ニメDVD『つゆのひとしずく』(出演も!)プロデュースと各国各地での上映イベント、植田正治氏のテレビ番組、ガブリエルさんをフランスから招いての写美でのトークショー&レクチャー、『コロタイププリントで楽しむ<童暦>の世界』展での写真評論家・飯沢耕太郎氏との対談、各国の出版社からのリクエストもさばきつつ、鳥取と東京で『つゆのひとしずく<小泉八雲と植田正治>』『植田正治×佐野史郎×安珠・つゆの“もう”ひとしずく』イベント、安珠さんの動画日記出演、原稿執筆、写真集『植田正治の世界』『僕のアルバム 写真:植田正治』『小さい伝記』出版、ローザンヌで子供向けの教育プログラムのアシスタント、PARIS PHOTO、Photo Poche (植田正治氏が同シリーズで2人目の日本人写真家に!) ディレクター、ロベール・デルピールさん (僕も大ファンなサラ・ムーンのご主人) との打ち合わせ、『Ueda  Lartigue』展、リベラシオン紙のインタビュー、その他 etc, etc…
そして植田正治展ヨーロッパ巡回のフィナーレとなる、MEPでの素晴らしい展覧会
ついに見事にやり遂げましたね!しかも素晴らしい成果をあげて!
今もこんなに植田正治作品が注目され愛されるのは、作品の素晴らしさももちろんですが、薫子さんの努力によるところが非常に大きいのは衆目の一致するところでしょう。

 

そんな薫子さんの突然の訃報に、打ちのめされました。

帰国後入院したけれど、病院あてにamazonでガンガンお取り寄せしまくる札付き患者だったこと、アロマやボサノヴァでリラックスしていたこと、院長先生とマブダチになった話とか面白くて、ゆっくり休んで回復に向かう様子に安心していました。電動車いすについても教えてくれましたね。
3月には元気になりました!と退院を知らせてくれたのに。
6月にわびすけにくれた最後のメールの署名は「とど・電くる(電動車イス)暴走族」とあったそうですね!?
11月にはパリフォトで会えると、パリフォトそのものではなく薫子さんに会えることを楽しみにしていたのに。
これからまだまだ時間があると思い込んでいました・・・。

でもどこかでわかってはいるんです、いつまでも悲しみに捕われ過ぎることを薫子さんは望まないだろうって。
前を向いて、残された時間を無駄にしないように進んでいかなくちゃいけないって。
少し落ち着いてから今までやりとりした3年分のメールを全て読み返していたら、いろんなことが懐かしく思い出されると同時に、まるで薫子さんと会話しているような、なんだか楽しい気持ちになりましたよ。
初めて会った3月の日の陽光や、東京の実家に遊びに来てくれたときのこと。ガブリエルさんの田舎の家でのくつろいだひととき。
そうそう、帰りに高速道路の降り口を間違えてシャンゼリゼを通ったら、「シャンゼリゼ初めて!」と喜んでくれましたね!?パリには少なくとも5回以上は来ていたはずなのに。観光なんて一切する暇がなかったことを改めて知りました。

今は身体的な制約から解放されて何処にでもすぐに行けるとしたら、ここ数日は大忙しなのでは??

今回もいい友達がたくさんできました。
いい友人に恵まれるのは本当にうれしいこと。
日本でそういうと「巨匠の孫でそういう仕事していればあたりまえ」と言われます。
確かにそうなのかもしれない。だとしたらこれは私に与えられた最大の祖父の遺産でしょう。
でも私の感じる限り、みんなそういうこととは関係なしに同じ価値観で気持ちよく話せたり、お互いに仕事を本当に楽しむことができるのだから、いいのだ、別にどっちだって。

薫子さんがたくさんのいい友人に囲まれているのは薫子さんの人柄に他なりません。
でなければみんなこんなに悲しまないよ・・・。
そして優れた作品にもまた人を繋ぐ力があるのではないでしょうか。
その作品を埋もれさせることなく世界中に広く紹介していくことに尽力した薫子さん。
お祖父様もきっと喜んでいらっしゃったと思います。

もっとも、個人的にはやり残した感がかなりあるけど・・・もっと手伝えることがあったはずだ、とか・・・。
もっともっといっぱい話したかった。
歳とってからも茶飲み話をしたかった。

 

たくさんの贈りものをありがとう。
写真の魅力を教えてくれてありがとう。
素敵な人達をたくさん紹介してくれてありがとう。
今度ガブリエル家で薫子さんの想い出とともにテーブルを囲みます。来てね。
Patraのことを気にかけてくれてありがとう。
友だちの音楽を気に入ってくれてありがとう。
友だちを励ましてくれてありがとう。
ラルティーグのご家族に私の親友って紹介してくれてありがとう。凄く嬉しかった。
時間をたっぷりかけて仲良くなれる子どもの頃と違って、大人になってから親友を見つけるのは難しいよね。
薫子さんは大人になってから得た希有な親友です。
年に数えるほどしか更新しないブログにコメントをありがとう。
どんなときもポジティブに、そしてユーモアのセンスを優しさを失わずにいることの大切さを教えてくれてありがとう。
薫子さんのあったかい人柄と生き方から凄く大切なことを学びました。
そしてたくさんの思い出をありがとう。
出会えて本当に嬉しかったです。
 

  

Comments (3) 人物 追悼文 アート Tags: — Kyo ICHIDA @ 2008/08/26 01:59

3 Responses to “仲田薫子さんへ”

  1. rigue 26/8/2008 at 9:35 AM

    僕の撮った写真について、コメントをもらったり個展や写真集の企画を手伝ってもらったりできるかな、と思案していたところに突然の訃報に接し、呆然としてしまいました。

    薫子さんとは、二年前に一度だけお会いしたきりです。佐野史郎監督のDVD『つゆのひとしずく』の制作の際、フランス語の翻訳が必要とのことで、享が僕を彼女に紹介したんだよね。僕は娘を学校に迎えに行き、そのまま現場に向かいました。東映アニメーションの事務所だったので、娘は職員の方に遊んでもらってたようです。

    僕もある程度名の通ってる詩人の孫なので、薫子さんとはなんとなく親近感はありました。でもお会いしたその時はその仕事に集中していたので、ゆっくりお話をする時間はありませんでした。もう会うことのできないと知るにあたり、とても残念です。

    ご冥福をお祈りします。

  2. patra 26/8/2008 at 9:56 AM

    え!!
    酷い・・・なぜ知らせてくれなかったの??
    私だって薫子さんとは絶対にもう一度お会い出来ると信じていたのに・・・
    電動車椅子になったと書き込みしてくださったのはお掃除ロボを同じに買った!というお知らせでした。

    植田正治さんの写真を大好きだった私に息子とお友達になってくれたと聞いたときの喜びは.天に向かって感謝したくらいです。

  3. kyo 26/8/2008 at 2:00 PM

    Rigue、その節は力になってくれてどうもありがとう。
    紹介したきっかけは薫子さんが2006年2月4日の写真美術館でのトークショーのための仏語通訳を探していたことでした。
    そのときは本番直前にRigueが体調崩して手術を受けたんだよね、その後は大丈夫ですか?
    それで急遽紹介してくれたピンチヒッターの方も薫子さんの表現を借りれば、
    「これまた素晴らしいベテランの通訳の方で感性も機転も抜群、日仏二人のキュレーターによる植田作品レクチャーは、参加者全員が熱心に聴講する内容の濃いものになりました。
    さきほど北上さんから無事退院とのご連絡をいただきまずは安堵したところです。」
    とのことで僕も安堵しました。
    今思えばガブリエルさんのための通訳だったのですね。
    『つゆのひとしずく』の仏語版翻訳の件は出来上がった後になって聞いたのですが、繋がった!と思って嬉しかったんですよ。
     
     
     
    Patraにとっても大切な友人でしたよね。
    会ったのは一回だけと思えないほどお互いを理解していたと思う。
    Patraのブログにコメントしてくれてますね、そのときのことが思い出されて懐かしいので貼っておきます。
    http://patra.kyo.com/blog/2005/12/16/50268452
    http://patra.kyo.com/blog/2005/12/21/50275670
    http://patra.kyo.com/blog/2006/01/20/50329294
    http://patra.kyo.com/blog/2006/12/03/50704407
    http://patra.kyo.com/blog/2008/04/03/%e8%a6%8b%e7%a9%8d%e3%82%8a%e3%81%8c%e3%81%8f%e3%82%8b%e6%97%a5
    レタッチの話とか興味深かった。
    考えてみると薫子さんに知り合えたきっかけは、Patra→糸井さん→古川さん→亜斗夢さん→津田さん→薫子さん、だからPatraのおかげだね。

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