17/7/2018

フランス優勝の思い出

ワールドカップ・ロシア大会でフランスが2度目となる優勝を決めました。

やはり20年かかるものなんですね。

実を言うと、2006年ドイツ大会のときと異なり、妙に安心して中継を見ることができた決勝戦でした。
コンディションの有利さに加え、1998年に優勝したときと似ていると感じる状況がいくつかあったからですが、うちのストリーミングがあまりに遅すぎて、近所の大歓声でゴールが決まったかどうかが数秒早くネタバレしていたせいかもしれません。

ゴールが決まる度に向かいのアパートのアフリカ系のお兄ちゃんは窓から身を乗り出して喜ぶので、ヨメも窓からガッツポーズで応えます。初めて彼の笑顔を見たそうです。

試合内容や今大会の感想を長々書くのはやめにして、思うところを短くまとめると、


フランスがサッカー・ワールドカップで優勝したときに現地に居合わせたのはこれで2回目なんです。
98年フランス大会。出張でパリに来ていたものの、試合は全く見る時間がなかったのですが、さすがに決勝戦はテレビのある友人のアパートで見せてもらいました。
そしてブラジル相手に3-0の完勝、からの、優勝の大騒ぎ!

最早タクシーが呼べなくなり、帰れないのでポワソニエール通りのカフェで明け方まで、自国開催初優勝に湧きあがる人々の歓喜を眺めていました。

フランス人のもの凄い喜びっぷりは大いなる見ものであるとともに、一種のカルチャーショックですらありました。
ヨメさんによると、このときの僕は
「いいなぁ〜…」
を呪文のようにひと晩中何度もつぶやいていたとのこと。
周囲の歓喜を指をくわえて見ているだけで、心底羨ましかったのです。

夜が明けてタクシーを待っていると、ようやく一台やって来たタクシーが先に並んでいた人たちに行き先を尋ねては、
「オレが帰る方向と違う」と言って断り、4番目くらいだった僕たちが6区の住所を告げると乗せてくれました。
強面の運転手さんはニコリともせずに、
「君達を乗せたかった(から他の人は断った)んだ。オレの言ってることがわかるかい?」
と言いました。
深く感謝するとともに、全く恩着せがましくなくそれをハッキリ伝えようとすることがとても印象的でした。
彼もまた、アフリカ系の移民なのでした。


それから月日は流れ、どういうわけか僕たちもフランス移民の端くれに。

2006年は優勝まであと一歩に迫りながら、PK戦で破れましたね。
あの大会は代表引退していたジダンが乞われて戻ってくれたおかげで出場できて、ジダンのおかげで決勝まで勝ち進んだのに、ジダンの人生何度めかの頭突きで一発退場となり、ふだんはサッカーを見ないようなフランス人に限ってジダンをボロクソに言っていたことにイラッとしたものでした。


そしてついに今回、二度目の優勝。
正直もう羨ましいという想いはなくて、素直に嬉しいです。

それにしても、優勝に備えてこういうプロジェクション・マッピングをちゃんと用意していたんですね。(右方向をご覧ください)

前方の車が次々に激しく揺さぶられるのを見て、この洗礼を浴びないと通れないんだなと覚悟を決めました。
うちの車の番になると、大勢の若者たちが満面の笑顔でうやうやしく(さあこちらへどうぞ!)というジェスチャー。
いやはや猛烈な揺れでしたが(うちの車、汚いのにゴメンね、フルパワーで頑張ってくれてありがとね!)という清々しいようなワケのわからない気持ちになりました。
きっと20年の時を経て、踊るアホウに加われたからですかね。
ついでに「中国バンザイ!」って言われたけどそこは違うゾ!まぁ細かいことはいいけどw

余談ですが迂闊にもパノラマカメラTHETAで以前は20分以上撮れた動画が、4Kになって初期設定5分に変更されたことに気づかず、この揺さぶりシーンをお見せできないのは非常に残念ではあります。

ですが、車道を歩く二人の若者が大きなフランス国旗のトンネルを車でくぐらせてくれたシーンとともに、夫婦の記憶アルバムの新たな1ページに焼き付けておきたいと思います。
想い出をありがとう!

  

2 Responses to “フランス優勝の思い出”

  1. aromableu 17/7/2018 at 4:17 PM

    わーきれい☆ミ