承前。自分自身が障害者差別をしてしまったことも思い出した。懺悔させてほしい。
小学生のとき、ずっと障害者向けスイミングスクールに通っていた。場所は御茶ノ水のYWCAで、小学生までは男女の区別がない。その頃はまだ歩けていたけれど、母から遺伝したミオパチーで生まれつき弱い筋力のトレーニングに泳ぐのが効果的だった。
小四のときにA子ちゃんが入ってきた。A子ちゃんは心臓の病気の影響で片脚が義足だった。けれども歩き方は普通で見た目には全くわからない。
ちょっとだけ影がある感じだけれどかわいい子で、同学年だったのですぐに仲良くなった。
ぼくはその頃、小学校ではクラスのみんなが授業で今教科書の何ページを見ているのかもよくわかっていないような酷い落ちこぼれだった。当然クラスに居場所なんてない。だから週に一度のスイミングスクールは避難所でもあり、小学校でのダメダメな自分の日常を知らないA子ちゃんにちょっとだけ虚勢を張って話せることが救いでもあった。
A子ちゃんは何故かそんなぼくに親切だった。ぼくの方はA子ちゃんの顔がいいと思ったけれど、彼女が好感を持つような要素が当時ぼくにあったとは思えない。なのにぼくがプラモ作りが好きだと知ると、誕生日にプラモデルをプレゼントしてくれたり。スイミングスクールには他に同年代が居なかったからだろう。
小五のとき、A子ちゃんから中野サンプラザのプールに行こうよ、と誘われた。毎週プールで会っているんだから何もお休みの日まで泳がなくてもいいのに、と後になって思うけれど、当時は何も疑問にも思わず一緒に行った。
YWCAと違って中野サンプラザのプールは混んでいて、A子ちゃんは泳ぐときは当然義足を外すんだけど人に見られることを気にしないみたいで強い。
驚いたのは、実はA子ちゃんのお父さんがずっと同行していたことだった。もちろんA子ちゃんは承知していて、ぼくは全く気付かず帰りの電車から先に降りる別れ際にそのことを告げられてビックリした。A子ちゃんのお父さんは(うん)というように軽く会釈をしてくださったけれど、すぐに総武線のドアが閉まってろくに挨拶もできず電車は去って行ってしまった。
もっとも時間が充分あったとしても、当時のぼくはおとなに好感を持たれるようなハキハキした挨拶が出来るような利発な子供ではなかった。
その次にまたA子ちゃんから中野サンプラザのプールに誘われたときは、最初からお父さんも一緒でそれが慣例になった。お父さんは無口でどんな人なのかはよくわからなかったけれど、A子ちゃんのために時間を割くことを厭わず、なるべく思い通りにさせてあげたいと思っていることは伝わってきた。
そうこうするうち、小五の終わりにぼくが交通事故に遭って長い入院生活を余儀なくされることに。入院中もときどきA子ちゃんはプラモデルを持ってお父さんとお見舞いに来てくれた。
結局入院生活は1年11ヶ月にも及ぶのだが、ようやくだんだん退院が見えてきた頃、A子ちゃんがお父さんと久しぶりにお見舞いに来てくれた翌日(A子ちゃん将来お嫁さんになってくれるのかな?)ってふと思った。
バカだと思う、まだまだ早すぎるしそんな先のことなんてわかるわけがない。
でも母は「障害者同士でかばい合うんじゃ如何なものか」って否定的な考えで、そうかぁ、それもそうだよなぁ…って、子供だったし親の意見に影響受けやすい。それは無理もない理にかなった意見だった。
そのことが強くアタマにあって、しかも長く入院したせいで同学年だったA子ちゃんは中一なのにぼくは小六をやり直しになってしまったコンプレックスとかが綯い交ぜになり。
事故に遭う前のぼんやり眠っていたような人生をまるでショック療法みたいに叩き起こされ、病院での大勢の人々との出会いによって目覚めたある意味ぼくは生まれ変わったと言っても過言ではないけれど、反動でこまっしゃくれた生意気なガキになっていた。
それで退院直後にA子ちゃんがうちに会いに来てくれたとき、酷く意地悪なことをいっぱい言ってそれが最後になった。
もうね、あのときの自意識過剰なクソガキの自分を張り倒したい。まぁ馬鹿ガキ過ぎてスマートな別れ話なんてできるワケもないんだけど、それ以前にそもそもまだちゃんと付き合ってすらないのに、こちらが先走って勝手に出した結論なんて何も知らないA子ちゃんにしてみれば、全く何もかも訳がわからなくてひどくガッカリしたに違いない。それゆえ別れ話ですらなかったのがなおさら意味不明で申し訳なかったんだけど、自分の中の超絶自己中で感じ悪い嫌な奴の存在を自覚した。
あのとき、彼女に対して、そして自分自身に対しても「障害者同士なんて所詮駄目なんだ」っていう差別をしたんだと思う。当時まだ松葉杖でもろくに歩けないから御茶ノ水駅までA子ちゃんを送っていくことすらできなくて、しかもひょっとして彼女のお父さんが外で待っているのかもと想像したら、自分はもう本当に役に立たないなと痛感した。
だけどそれより何より、もしかしたら彼女自身も学校に居場所がなかったのかもしれないって気づいたとき、胸がつぶれそうになった。


