これは母・いちだぱとらが入院していたときのメモで、非公開にしていましたが記録としてひっそり残しておきます。

春にはまだこのくらい元気だった母が、わずか半年後にこんなことになるとは…
母とは毎日ネット通話で話すのがかれこれこの6年ほど日課になっていた。
30分から1時間くらい、ほとんどは母が見た映画のネタバレなんかを一方的に喋る。
この夏ヨーロッパツアーをした藤井風さんの話題も多かった。
9月中旬に肋骨を痛めた母は、その後呼吸が苦しいと言うようになった。
もし仮に肋骨が折れていたとしても2週間ほどじっとしているしかない。とはいえ肺を傷付けてでもいたら大変だ。
訪問の看護師さんが聴診器で音を聞いてもそういうわけではないらしい。
そのうち吐き気を訴えるようになり食欲がなくなった。
10月になり肋骨の痛みはなくなったものの、息苦しさと吐き気による食欲不振が続く。
吐き気止めを処方してもらっても効かない。
無理して食べてももどしてしまう。
訪問医療では検査に限界があるため周囲が入院検査を勧めるも、本人が頑なに嫌がっていた。
尤もこの時点ではまだ、本人も周囲もそれほどおおごととは考えていなかったのだろう。
その後も改善せず悪くなるばかりの様子なので、帰国するから入院するように説得。
あれほど検査入院を嫌がっていた母も「東大病院なら」と態度を軟化させた。
これはおそらく東大病院なら近くて僕達が通いやすいから、に違いない。
訪問の看護師さんやケアマネさんとメールのやり取りをするうち、毎日欠かさなかった母のSNS投稿が途切れる。
こちらの通話にも応答しなくなったため、予定を早めて帰国した。
2025年11月06日(木)帰国
本人は頭はしっかりしているがやはりかなり苦しそう。
にもかかわらず僕達夫婦の食事の出前の手配をしてくれていた。それどころじゃないんだから僕達の夕食なんて気にしなくていいのに、そういうところがいかにも母らしい。
心配なのは明日、東大病院を受診して入院させてもらえるかどうかだ。
訪問医曰く、東大病院に入院するには先ず外来受診してからでないと駄目だそうだが、母の状況では外来受診といっても容易ではない。やっとの思いで受診したのに、解決せずそのまま帰されるようなことになったらと思うと不安。
なので東大病院に拘らず帰宅次第救急搬送を要請するつもりでいたのだが、ケアマネさんが翌日の介護タクシーを手配していた。
東大病院に入院する難しさを繰り返す訪問医に対し、とにかく受診手配をするように母が一喝したためだった。
2025年11月07日(金)東大病院へ
朝、お土産の藤井風ヨーロッパツアー限定Tシャツを着て行くと言う母。もう自力では動けない母を妻が何とか着替えさせ、介護タクシーのストレッチャーで出陣。
母がこの部屋から外に出るのは何年振りだろうか。十年くらいになるかもしれない。
初めてこの家で独り留守番する僕に、妻がテキストメッセージで状況を逐一知らせてくれるも予想通り大変そうだった。
ストレッチャーで外来受診するにあたり、事前の東大病院と訪問医との約束でヘルパーさんを一人付けることになっていたらしい。
妻一人ではストレッチャーを移動させられないためだ。
聞いていなかったのですぐに手配しようとしたが、若い研修医さんが付いてくださることになった。
ケアマネさんによると急だったのでヘルパーさんを手配できず、奥様がいらっしゃるから大丈夫と思ったとのこと。
ストレッチャーで検査するため救急の一角を借りることに。
救急外来の看護士さんが同じ藤井風限定Tシャツをお持ちのファンで早速仲良くなったらしい。ここにもファンコミュニティーが!
しかし妻から悲観的な報告。
「今日の入院は無理かも
総合内科は(入院のための)ベッドを持っていないの一点張りで
検査結果にもよるんだろうけど
今日帰ることになったらさっきの介護タクシーの電話番号をもらったので手配はできます。」
検査の結果、しかるべき科に入院できるのなら今日のところは帰るというのもわかるけど、食事が摂れない状況のまま放置できないので、東大病院に拘らなくても直ちに治療を受けられる他の病院を探す方がいいかもしれない。
「てか、東大は無理そうだね
超緊急の検査結果なら他の病院に搬送が可能だけど、あくまでも意識不明とかならっていう感じ」
うーむ、意識不明って・・・それならやはり救急搬送を要請した方が現実的だったと思う。
「CT撮ってもらうことになった!」
「カリウムの点滴もいれてくれた!」
「CT終わってまた次の検査へ」
「東大の皆さん、みんないい人」
「CTによると右側の胸に水が溜まっているらしい
何によるものかは不明
水を抜いて検査するって
肺と胸膜の間に水が溜まってるそう
麻酔を打って抜くって
本人はやる気があるというので、同意書にサインしました。
ここまでやってくれるならこのまま入院させてーーーーー!」
「このスピード対応は日本ならでは」
「ほんそれ」
「それが吐き気の原因でもあるんだろうか」
「かもしれないって」
「水抜いてもらったら治ったりするといいね」
「だよねー
ただ今回は検査で治療ではないからなー
右側が特に多くて左もだって」
「そうなんだ・・・それは苦しかろう・・・」
「水の採取は終了して検体の結果が出るのに1時間くらいかかるそうなのでカフェに入りました」
「その日のうちに結果出る日本クオリティー!」
フランスだったら結果が判るのは早くて1週間後だろう。
「午後からは先生が変わるそうです。申し送りはちゃんとしてくださるそうです。」
「先生の見立てでは、入院すべき状態だそうです」
「ですよねー!?」
「ただ、やっぱり東大で入院できるかはわかんなくて、その場合は新たな病院を探す手はずをとってくれるって」
「先生いい人。
ご飯召し上がって下さいーって私のことも気遣ってくれた😭
昨日帰国したの?大変でしたね、って」
先生は母にも「よく来たね」って言ってくださったと後で聞いた。
「このまま東大での入院が決まりました!!!」
「入院手続き完了!
個室じゃーー!!」
夕方面会に行くと検査がハードだったようで母は疲れと苦しさで辛そうだった。
それでも入院させてもらえたことでそれまで耐えてきた苦しみが解決する兆しが見えた。
医師から胸膜に水が溜まり肺を圧迫していること、そしてCTで大腸に疑わしい部分があるため大腸内視鏡検査をする旨説明を受けた。
「ごめんね」
「何が?ごめんくないよ」
「ごめんくないよ」は謝ることなんて何も無いよという意味なんだけど、これ巷で通じるんだろうか。
2025年11月08日(土)入院翌日
面会開始時刻の午後2時に行くと、面会受付の順番待ち。
整理番号93で、呼ばれたのは36分後。
母眠れなくて辛そう
「ぱとらのことだから、ここに入院させてもらえるように頼んだんでしょう?ぼくたちのために」
「うん、そう」
「何て頼んだの?」
「息子は私と同じ障害で、遠くの病院だったらパリから帰ってきたのに来れない。そんな理不尽させられません、って」
それはまぁうちの事情だしどこの病院になっても通うつもりではいたけど、一番近くの病院に入院できるように必死の交渉をするところが母らしい。
「20万の特別室でもいいから入らせて!」と頼んだそう。
先生が空きベッドを探してくださり、
「2万円台と3万円台の部屋が空きましたよ。どっちがいいですか?」と訊かれ、
「急にケチになって「2万」って」と笑う。
二万円台の部屋は一晩しか空いてなくて、この日に三万円台のもっと広い個室に移った。
その部屋の窓からはちょうどウチが見える。ベッドからだと見えないが、それでも喜んでいた。
実際、近いことはこの上なく有り難い。移動時間は電動車椅子で10分弱。
この日メガネをするのを忘れてきたのだが、
「いい顔になった」と言われた。
「メガネしてくるの忘れちゃったのに」
実際はマスクで口が隠れているためだろう。マスク効果。
2025年11月09日(日)計画停電
東大病院の看護師さんから電話があって緊張が走る
今日は停電でエレベーターも動きにくくなるので午後5時以降にいらしてくださいとのこと。
母が心配して、電話してくれるよう頼んだのだそうだ。
母によると看護師さんから「自分で連絡してください」と言われたけど私もうスマホが重くて持てないの、とのこと。
たしかに母のiPhone Pro Maxは画面は大きいけど重い。今どきはもっと軽いのがあるから変えようか?と提案するも、もう要らないとのこと。
「エレベーター🛗復旧しました。😆
早く会いたい💕」
とメッセージがあり、打てるようになったんだと喜ぶも、これも看護師さんに頼んで打ってもらったそうだ。
「かわいくしちゃいました」と看護師さん。

痛みを抑える点滴
看護師さん三人で左脚の火傷の傷を確認、消毒してくださる。
「これは痛かったでしょう」と、左脚に触らないように他のナースへの注意書きを用意してくださる。
妻が訪問看護師さんのやり方を見て覚えた痛みを与えない靴下の履かせ方を伝授。
看護師S田さんも火傷の水脹れを放置してしまったのを同じヒロ先生に綺麗に治してもらい絶大な信頼を寄せているそう。
妻が顔に美容クリームを塗ってあげる。
アイマスク
眠れる点滴
眠れるか?
2025年11月10日(月)母のSNS
母の代わりに諸々事務処理。
午後からは病室に自分のノートパソコンを持ち込んで作業を試みるも、集中できず断念。仕事は朝するしかない。
まぁどこでも出来る仕事で良かった。会社勤めだったらこうは行かない。
SNSで心配かけているといけないのでスマホが持てない母の代わりに投稿。実情を書くともっと心配させてしまうので母の言ったままを簡単に。
母は昨日よりしっかりしてるように見える。
眠れたのが良かったのだろう。
眠れる薬は効き過ぎだそうで嫌がっていたけど。
明日は大腸内視鏡検査。
2025年11月11日(火)大腸検査
大腸内視鏡検査の日。下剤を飲ませるため午前中から面会する許可をもらう。
けれど9時半から10時にかけて自宅でレンタルしている昇降イスの調整に人が来るため待機していたら、
「どうしたのか」とぱとらからメッセージ
これは本人が打ったとのこと。

下剤を飲むのがつらいらしく、数年おきに検査を受けている妻に
「あんたたちよくこんなのやるわね」と。
この日母は何度も眠った。
ずっと眠れないと言っていたので眠れるのは良かった。
検査に行く前、救急外来の看護士さんが藤井風ファンのお仲間看護士さんと病室に訪ねてくださった。
大腸内視鏡検査から戻ると
「お水〜お水〜」
と騒いでいた。
検査後H田先生より説明を受ける。
やはり大腸癌だろうと。
しかし年齢的にも手術に耐えられる状態ではないそう
食事が摂れないとなると長くは保たないとのこと
病室に戻ると、検査で疲れたのかぐっすり眠っている。お腹空いたって言ってたけど夕食は食べずエンシュア(経口栄養剤)を飲んだ。これだけで何年も生きる人もいるそう。
だがその後はエンシュアを勧めても嫌がることが多くなり、試しに自分でも飲んでみたところコーヒー味なのはいいんだけど何となく母が嫌がるのも解る後味だった。
「苦しい」
口呼吸
「こんなの一生続けられない」
「すぐとって
苦しさ」
「ごめんね」
「早く死にたい」
2025年11月12日(水)楽な姿勢
右を向くと呼吸が楽らしい。
「楽な姿勢が見つかって良かったね」
「私アタマいいもん」
それはいいんだけど我儘な子供のようになってる。甘えてもらえるうちが花か。
母のノートパソコンで藤井風くんをかけると手だけで踊っている。
一番好きな曲は?って訊いたら『罪の香り』とのこと。

2025年11月13日(木)ルート確保名人
命令が三文字に。
「あげろ」
「はやくしろ」
「私の介護できるのあと少しなんだから」
「座れ」
辛いから多く喋りたくないんだろうけどかわいげがない。
「(病室の)電気を消して」と言うも看護師さんに却下される。
昼夜逆転してるそう。
左手がパンパンにむくんでいる。
「点滴入らないからやめた」とのこと
「うちで死にます。もうたいして時間かからないから」
「キャニスターまとめといて」
「眠ってるんじゃなくて眼を開ける体力がないのよ」
葬儀は密葬にせよとのこと。
これは本来の意味の本葬を別途行う「密葬」ではないようで、とにかく誰にも知らせるなと…
むくみで点滴を入れられない看護師さんに、
「ヘタくそ」
点滴の名手Aさんが召喚されルート確保に粘り強くトライしてくださる。
「ムリだよ」
「みんな失敗したんだから」
ネガティブなことばかり言うぱとら
「これでオサラバなんだから。あんたたちの技術のせいじゃあない」
Aさん「私ができなかったら出来ないということになります」
散々ネガティブな発言にもかかわらず約30分も集中を切らさず、遂に成功させた。
他の看護師さん達から拍手喝采!
カッコいい。
ぱとらも絶賛。
吐き気を訴えてもどす
言葉がキツく罵詈雑言に近い
H田先生から病理検査の結果やはり大腸癌(横行結腸癌)だったと説明を受ける
劇的に改善することはないとのこと
母も治療を拒否しているし、経験上延命すると却って苦しむことになる
「ホスピスやめた、自宅に戻る」
「気持ち悪いんだからガサガサやるな」
「鼻のアレを取れっつってんだよ」
「酸素ね、言ってくれないとわからないこともあるんですよ」と優しく諭す
「わたしなんかおばあちゃんが何言いたいかすぐわかった」
「おばあちゃんは帰ってきて二日で死んだ。娘孝行だったなぁ」
家で最期を迎えたいだろうとは思う。
とはいえ、ここでやっているケアを見ると家でできるとは到底思えない。
指図が
「ゆうこと聞いて」
に若干軟化。
帰ってきたばかりの頃は「迷惑かけてごめんね」なんて言ってたのに、もう全くそういう感じはなくて女王と暴君を足して2で割らない感じの指図。
辛いのはわかるし可哀想なんだけど患者としてのかわいげはない。
2025年11月14日(金)伝えておくべきこと
病室の電気が消えている。看護師さん根負け?
「効かない薬ばかりで眠れない
あんた達は黙って帰っちゃうし」
「面会20時までだし、眠ってたよ」
「眠ったことなんかない」
痛み止めパッチが処方された。
おそらくこれは医療用麻薬で、大腸癌が確定したからだろう。
末期癌だったおばあちゃんはこれを貼って翌朝亡くなったので、母はこのパッチを貼れば楽に死ねると思っているようだ。
しかし手術に耐えられる状態ではなく母自身も望んでいないため、治療をしないとなると東大病院には居させてもらえない。
地域医療連携センターのT市さんによると、
「ホームか緩和ケア病院への転院」
「自宅は難しいのではないか」とのこと
母の物言いが誰に対しても同様にキツい
いつものことと云えばいつものことだが、苦しいからもあって尚更だろう。
眼を覚ましたので言っておくべきことを話す
「産んでくれてありがとう」
「私からもありがとう。こんな素敵な人を育ててくれて。ずっと大事にします」
「わたしが命懸けで育てた子です。男らしく育ってくれて嬉しい」
「育ちました」
「こんなスットコドッコイな小娘を嫁にしてくれてありがとう」
「スットコドッコイって、わたしが言ったの?」
「うんw」
大笑いする母と妻。
「ふたり長生きしてね」
2025年11月15日(土)育て方を間違えた?
「風吹ジュンさんが美味しいポン酢送ってくださったよ」
風吹ジュンさんはいつも母に優しくしてくださって有り難い。
いろいろ看護師さんに指導してるつもりの母。
しかし伝わらない、とボヤく。
「もう昭和じゃないんだから」
「昭和に戻れ」
看護師さんに「あなた太り過ぎよ」とかも言ったそう
「容姿のことは言っちゃダメだよ、今どきは容姿を褒めるのもダメだって」
「そうか」
その看護師さんとは後日和解していた。
医療麻薬のパッチを処方していただいて以降あまり苦しまなくなった。
手を握って眠る母
こちらも眠くなる
2時間くらい?3人とも黄金のうたた寝
「三人が見てる」
「誰が?」
「おばあちゃんと市田さんとX(昔のボーイフレンド)」
「仲良いのよ
女好きなのはいいんだよ
人間性があったかくないと
あったかくないのは市田さん
見栄っ張りじゃなかったらもっと行けたかも」
「自分もそういうとこあるよ、さすがにこの歳になったら見栄ははらないけど
フリーレンみたいに魔力を隠して弱いフリしてる方がいいからさ」
「そうだよ」
夜勤の看護師S田さん、母がいろいろ話していた模様
Sさん「私ミーハーだから聞いちゃいますけど
市田さんて凄いキャリアウーマンですよね!?」
「そうよ
大物です」
Sさん「伝統ある市田家」
「あんた誰?」
「ヒロ先生に火傷を治していただいた看護師さんですよ」
「いつも母の物言いがキツくてすみません…」
Sさん「『だけど最後に「ありがと」って言ってくださるのよね』って
言っちゃった!」
Sさん「息子さんも凄いと私たちの間で話題になってます
先生への質問とか、落ち着いていてこうゆうご家族はなかなかいないですね
長男っていう感じ
孝行息子
私お喋りだから全部言っちゃった」
「ぜんぜんそんなんじゃないです
今までずっとパリで、ひとりにさせてたんで孝行息子じゃないですよ
気のせいです」
「この人は自慢の旦那様です」
Sさん「奥様も話題になってます、「あの綺麗な人は誰」って」
「素晴らしい夫婦よ」
Sさん「息子は18になったら出て行かせるのが凄い
よく海外に出せましたね、私なんか息子の海外旅行の見送りで毎回泣く」
「息子といえど別の人生」
「母が覚悟が決まってる人なので」
Sさん「うちの息子二人は家にまだいるんですよ
東京だと家賃高いし・・・十万するんですよ」
「息子邪魔だもん」
Sさん「ろくに口もきかない
育て方を間違えた」
「息子さんはS田さんがお元気でお仕事されてるから甘えてるだけで、きっと大丈夫ですよ」
こういうとき母は口調がしっかりして束の間、元に戻ったかのよう。
病院から出た後で妻は「享くんが褒められて嬉しい」とずっと上機嫌だった。
そんなこと喜んでくれるのは家族だけなのは間違いない。
2025年11月16日(日)勢至菩薩
「苦しい」
「死ねない」
「2週間経ったでしょ?」
「まだ9日だよ」
「え〜?」
「勢至菩薩持って来てくれた?」
勢至菩薩とは母が以前彫ってもらった手のひらサイズの菩薩さまの木彫だ。
「仏壇にあるの?明日持ってくるね」
15秒〜30秒おきにベッドの上げ下げ、頭の位置、腕の位置等の変更要求
寝返りも
看護師さん忙しそうなので、妻が滑りやすいブルーシートを入れて独力で態勢を変えた。
横向きと仰向けを繰り返してやっと眠った。
「パワハラババアです」
母が自力では身動きできなくなってしまったのは生まれつきのミオパチーのためだ。
食事
おつゆ
おかゆ
おかずも少し
横向き
姿勢変更の要求が頻繁で妻が大変
2025年11月17日(月)永寿の風評
可愛げがあるときとないときが交互に😅
今日は比較的よく喋った。
「わたしまだ死なない、食べてないのに」
はじめ母は永寿総合病院にあまりいいイメージを持っていなかったようだけど、看護士のSさんがしてくれた話を聞いてすっかり永寿贔屓になった。
Sさん「コロナ禍のとき、東大含め地域の病院がコロナ患者を受け容れなかったのに永寿さんが率先して受け容れたんですよ
そしたら院内感染になっちゃって
地域の保育園で「永寿の看護士さんの子供は来ないでください」みたいに言われちゃって
あんな良い看護士さん達がそんな風に言われるなんてヒドい!って思って
せめてもの感謝に募金しました」
「目玉焼きトロッとしたのが食べたい
イチゴが食べたい🍓」
「あんたイイ男になったね」なんて世迷い言も
これも一種のせん妄ってやつか…
妻に背中を掻いてもらって
「あ〜気持ちいい」ととても喜んでいた。
そう、背中を直に掻いてもらうととても気持ちいいんだよねw
30分くらい掻いていたかも。
2025年11月18日(火)なんで死ねないの?
妻が焼いた目玉焼きを食べた。

お掃除の人がティッシュの箱にクマちゃんの絵を描いてくれた。カワイイ
「ポチ袋🧧持って来て」
近くでは売ってなくて妻が遠くのコンビニでパンダのポチ袋を買って来て見せたら超嬉しそうな顔
しかし今どきのちゃんとした病院なのでどなたも受け取ってはくださらなかった。
「故郷に還ったらおじいちゃんおばあちゃんによろしくね」
「おお、来たかって言われるから嬉しい
おじいちゃんノリ(母の姉)の前では私のこと言わなかった
ノリはヤキモチ焼きだったから」
「ぱとらはヤキモチやかないね」
「私はヤキモチ妬かないって決めたの
器量が良くなくてヤキモチ妬きだったら話にならないから
ブスほどヤキモチ妬く」
背中を掻いてもらって
「あー気持ちいい」
顔メンテ
温泉卵
「あ〜もう疲れた」
「くたびれた」
今日はぱとら節
「なんで死ねないの?」
「殺されるって楽ねw」
「え〜?」
「横向かせて」
「あんた上手くなったじゃない」
「いま一瞬コツを掴んだ気がする」
「忘れんなよ」
「ニンゲン言われたことだけしかやんないようじゃ進まない」
2025年11月19日(水)腸内環境
「疲れた
あたし能天気に生きてきたからw疲れるってことに慣れてなくて」
「何か大変な事があったんだけど、忘れた」
「みたらし団子みたいな甘じょっぱいもの食べたい」
「喉詰まらせないでよ。大腸癌だ、肺に水が溜まったっていって最終的にみたらし団子で窒息死なんてシャレにならないよ」
「笑い話で死にたい」
笑
その後みたらし団子を食べたけど美味しく感じなかったのかひと口だけだった。
「わ、なんか怖い夢見てた」
どんな夢?
「忘れた」
便を押し出す力が弱くなり長年浣腸依存していた母は、看護師さんに浣腸をお願いするも、大腸がんなのに浣腸で腸圧が上がるのがどうかという医師の懸念で保留になっていたが、結局は母の要望通り浣腸してもらっていた。
考えてみると浣腸に依存しすぎて腸内フローラを台無しにしていた可能性があるのでは?
2025年11月20日(木)ぱとら節
「朝から何も食べてない」
「お腹空いて目が回っちゃう」
「もう私に何も食べさせようとしないで」っていう境地は遠いねって言ったら笑ってたw
これはおばあちゃんが亡くなる前日に母に言ったことばだ。
「ひもきゅうが食べたい
アイス
あんず
日本蕎麦
とろろ蕎麦
牡蠣フライ
おろしなめこ蕎麦
ざる蕎麦でもいいわ」
食べたいものが次々浮かんでくる模様w
いいことです👍
看護師のS田さんから
「明日永寿総合病院に面談して
いつから転院できるか判ったら
13階北病棟に電話を入れて欲しい、連休になるので」
とのこと。
顔クリーム
目の下に貼るやつ
「ガッとやって」
(お嫁のふみちゃんのことを)
「良い人に来てもらった
息子よでかした」
「おじいちゃんが「自分は能力がない(から自分で何とかしろ)」って言ったの正直よね」
ぱとらが化粧するのをいやがらなかったそう
「男でも騙してゲットしろって思ってたんじゃないの?w」
とはいえ母の今の暮らしは帝大を出て建築家をしていたおじいちゃんの築いたもののおかげだ。
「惚れちゃうとね、良いも悪いもなくなっちゃう」
「抜け目ないから浮気させない、自分が浮気する」
「あ〜じ〜ふ〜ら〜い〜🎵」
「歌えるくらいならたいしたもんだ」
「あっはっは」
笑
「のりたまのりたまのりたまが〜、私を見てる」
「本日初お粥」「うまいわ」
「のりたまがかかってるところがいいわ」
「あと5分くらい休む」
「まぁでもどおってこたぁねぇな」
「なんかもう、毎日疲れるの」

「元気が出ますようにって言ってます!」って掃除の人が再び描いてくれた
やさしいお言葉
2025年11月21日(金)面接
午前中に永寿総合病院へ面接
うちから電動車椅子で30分弱
説明を聞き状況を説明。
受け容れていただけることになり、S田さんに報告。
「疲れてばっかり」
「ひもきゅう」
「肩ダルい」
お喋りの質と量が普段に戻りつつある
毎日通っている母の病室にはヒトを眠くさせる魔法がかかってる模様
今日は三人で黄金のうたた寝をキメましたw
2025年11月22(土)錯覚
母がよく出前をとっていた近所の鮨屋に事情を話してひもきゅうをお願いする。ひもきゅうと沢庵巻をなるべく細く巻いてと。
最速で火曜日14時テイクアウトとのこと。
肺に溜まった水を抜く穴から毎日いっぱい水が出ると言っていた母、
しかし実際にはそんな事はしておらず錯覚だったことが後に判った。
「金魚って不味いんだって」
えっ、笑
「今日は何したか思い出せない」
2025年11月23日(日)忘却
「お腹空いた」「ひもきゅう」
「え、今日じゃないの!?」
「あたしゃ今日ひもきゅうだと思って何も食べてない
三日食べてない」
「今日の看護師さんは温泉卵のとき加減がちょうど良かった
とき過ぎると白身がわからなくなっちゃう」
「やっぱり食べたんじゃん😆」
「そっか、思い出した😆」
みたらし団子
大福
都こんぶ
二の腕、足裏マッサージ
「(昔のボーイフレンドについて) 私たち愛人同士だから。友人同士じゃないから。上手くいってたわよ。ごめんね悪い母でw」
「あんた温泉卵持って帰ったら?」
「うちには生卵あるから」
「生卵は消化に悪いわよ」
「卵も消化できないようじゃヘビ失格だよ
卵を生で食べるのはヘビと日本人だけだっていうけど」
母笑う
「ほんとだよねw」
2025年11月24日(月)家族っていいな
「おじいちゃんの日は寒かっただわよ」「ちょっとみぞれが降った」
「足揉みましょうか」
「家族っていいな」「そうお?って言える」
「どうしてこんな重症になっちゃったんだろう」
生まれつきのミオパチーがなければ状況はかなり違ったかもしれない
「可哀想な人いっぱいいる
うちなんてかわいそうなところひとつもない
威張ってるしわたし」
妻のご両親が千疋屋のプリンを送ってくださった。
「いいものあるよ、マンゴーのプリン🍮」
「美味しい
マンゴーの味が」
他の病室からお爺さんの呻き声が聞こえる
「朝からずっとうめいているわよ
可哀想に」
2025年11月25日(火)待望のひもきゅう
待望のひもきゅうを急ぎ持って行く
でも期待したほどではなかった模様
「酢飯がおいしくない
ワサビがもう少し」
きっとワサビは控えてくれちゃったんだろう
シャリを少なく細く巻いてって二回言ったのに普通だった
修行中の若手が巻いたっぽい見栄え。
今日は息が苦しくて気持ちも悪いみたい
明後日転院
T市さんがストレッチャーと車椅子両方同時に乗れる介護タクシーを手配してくださり有り難い。
昔、美空ひばりの歌声が順天堂病院の屋上の方から聴こえてきたことがあり、後で本当に美空ひばりが入院していたことを知った思い出話など。
「戒名要らない
自分で作った」
「どんな?」
「誠実院極楽大菩薩」
自分で戒名作っちゃったよ🤣
ちなみに「大菩薩」は戒名に使えないそう😅
「今日は絶望した日」
「ひもきゅう?」
「あんなに待ったのに」
妻に痒いところを掻いてもらう母に、
「痒いところを掻いてもらって
贅沢の極みだねw」
「笑」
2025年11月26日(水)東大病院最後の日
今日は昨日より苦しくなさそう
水が大量に出たそうで、それでかも。
「私の病気なんなの?看護師さん教えてくれない」
「横行結腸癌だよ」
「そうかぁ」
母自身もとっくに聞いているのだが忘れてしまったのかも。
「疲れちゃった
ひと口食べて疲れちゃっちゃしょうがないわね」
「ふみちゃんいつも同じ服着てない?」
「バレたか〜〜服あんまり持ってきてないんですよ」
荷物が多くて嵩張る冬服がスーツケースに入り切らなかったのだ
「もっとアメリカン◯◯◯◯みたいなド派手な格好しなさい」
明日は転院。
2025年11月27日(木)転院
今日は転院なので明るくなる前に起きる
東大病院への支払いを済ませ
介護タクシーで移動

永寿のスタッフさんみんなとても優しい
ぱとらの好みを訊いてくださる
藤井風の推し活してる旨伝える
音楽も大きめの音でもかけていいそう
コカコーラを飲みたがる
20年ぶりだそう
珍しくかなり飲んだ。
ジンジャーエール
豆乳
イチゴプリン🍮
柿の種
品川巻き
母が蕎麦好きと知り夕食にお蕎麦を出してくださった。
今までで一番食べた。
飲んだり食べたりしてくれると安心する。
2025年11月28日(金)入浴
面会に来たら入浴中だった。
戻るタイミングでお部屋を変わることに。
ベッドの配置的に顔の向きが移った部屋の方が良さそう。
入浴、皮膚の処置が終わって病室に行くとずっと口を開けて寝ている。
音がしても話しかけても起きない。
暗くなってから目が覚めて話せた。
緩和ケアで苦しみは抑えられる分、会話があまりできなくなっていくんだと知る。
お風呂に入れて嬉しそうで良かった。
2025年11月29日(土)いい病院ね
天せいろを所望されるも、土曜は早く閉まる店
病院の近くにあった行列の蕎麦屋で聞くもテイクアウトはしてないそうで、残念
怖い夢を見ているよう
カルピスを飲みたがる
売店が閉まっていて外のコンビニで。
「何か食べた?」とふみちゃんと僕にそれぞれ心配する
「ここいい病院ね」
「何か食べた?」
「いつも私たちに何食べさせるか考えてくれてたもんね」
「いちおなw」
「ここであんまり食べるのはよろしくない」
「早く死にたい」
「飽きた」
「ごめんね〜」
「なにが〜」
「ごめんくないですよ〜」
なんかかわいく思えた
2025年11月30日(日)心配ない?
常々母がおばあちゃんに似てきたように思うけど、今日は寝顔が典子伯母さんに似て見えた。
「ご飯食べてない」
だがホワイトボードにはお蕎麦とマンゴーのプリンを食べたと書いてあるw
清水義則のボケ老人の短編みたい😅
「おどろいた」
「だってさ、痒いのよ」
「おばあちゃん
親孝行
わたし乱暴だった
おじいちゃんもおばあちゃんもXも、わたしにありがとう言わずに逝った
まぁいいや
うんと遊んでやれ
勉強
なんであの、机が同じなのに、ベッドがちがうんだ?
昨日からおんなじ絵?
あなたのお母さん来てたわよ
お金ある?
たっぷりある?
享くん死んじゃった?」
「生きてるよ
僕だよw」
「幸せにした?」
「幸せだよ、ありがとうね」
「良かった」
「朝かと思った」
「夕方だね」
看護師さんに
「あなた沖縄の人?」
「わたしフィリピンです。沖縄近い」
「そうなの、
いい経験、いろんな国の人」
「道に迷わなかった?」
「心配ない?」
「心配ないよ
大丈夫だよ」
味噌汁なら美味しく感じる母のために妻が各種インスタント味噌汁をストック
今日はなめこの味噌汁
「うまい」
「あたしゃ味噌汁が好きなのに…」
「帰れるの?」
「仲良くやって」
「うん、大丈夫だよ」
安心したように微笑む
2025年12月01日(月)仲の悪い姉妹
今日は目が覚めていて話せた
近所の蕎麦屋の天せいろを持って行ったら喜んだ
「美味しい」
「幸せな
ハンドラブーン」
「ハンドラブーンって何?」
「知らない」
ハンドラブーンだか、ハンドラムーンだか、
せん妄もあるけどまだ笑うことがある
話せる時間が貴重になっていく
痛みは抑えるけど眠るほどではなく話ができる程度に薬の量を調整してくれているんじゃないかと思う。
「ここ病院なの?
刑務所じゃないの?」
「ノリがまだ生きててね、笑った
あんた何食べてんのばっかり言ってる
まだ生きてんだよ、あの小煩い女が」
母と伯母は昔からずっと険悪だった。伯母からも母からも昔話を聞いていたので思うに、姉妹の仲が悪い場合、原因の根は母親にありそうだ。つまりおばあちゃんが育て方をドジったのだ。
母たちが子供の頃、寒い中伯母がおつかいから帰ると母は暖かい部屋で雑誌を読んでいたそうだ。伯母にとっては子供心に不公平感を募らせたのだろう。脚の悪い母ではなく伯母におつかいに行かせるというのはおばあちゃんにしてみれば普通の判断で責めるのは酷かもしれない。
疎開先でいろいろ困っていた子供の頃の母が、「お姉ちゃんも来たので助けてもらえると思ったら率先して虐められた」そうで、そんな小さい頃からの積み重ねが姉妹の関係性を修復不可能にしてしまっていた。
けれども母親になってからの伯母は人格者になり、母のことも守ってくれていたのだが。そういえば伯母が享年69歳で亡くなったのも大腸癌だった。
「あっ、見せたかった
ふっ、ふっ、ふっ」
「あのね、立派にね、ダンス
踊ってやんの、バカみたいw
なんかね、モダンダンスだったね」
「今日の朝の味噌汁は失敗だったんで
怒られてた
はっはっはっ
厳しいよここ
きちんとやらないと追い出されるな
おばあちゃんが心配してた
あんたって規律破りだから、って」
「ふたりが来ないと寂しい」
2025年11月02日(火)妄想
「イチゴ買ってきたよ」
ニカ
「甘いかな?」
「あまおうですよ」
「カルピス好きになっちゃった」
「ここ牢屋みたいじゃない?」
今日はよく話せた。
イチゴも丸ごと食べた。
胸が苦しくなり痛み止めが投与されて眠ってしまった。
「あ、悪い奴が追って来た」
「顔が悪い」
「えっ?私の恋する人は?」
「誰?」
「リハビリの先生w😆」
「わたしとんでもないわねw」
「なんか怖いのよ
悪の巣窟」
「なんでそんな想像してんの?w」
「わかんないw」
2025年12月03日(水)あ〜楽しかった
今日は陽気に話せていた。
「プリン🍮」
若い頃、父の故郷の秩父に初めて行ったとき、プリンを作ろうとしたけど固まらなかったという思い出話
「あの頃は純情だった
なんかしなきゃと思って
ウケようと思って
バカだよねw」
「でもね、笑っちゃうくらい
悲しくないの
好き勝手生きた」
「なんでこんなとこで療養してんのw」
「死ななかったらどうしようw」
「なんでこんな急に死ぬ気になっちゃったのかしら」
「まだ死なないよ」
「え、困る」
「派手にやりたくない」
「藤井風ももうどうでもいい
だってわたし先に死んじゃうんだもん」
「そりゃ年齢的にw
先に藤井風死んだら泣くでしょ」
「あ〜楽しかった」
「ふっふっふっ」
「殺人工房」「びっくらこいちゃうよ」
2025年12月04日(木)風くんを聴きたがらなくなった
今日は寝ている。
歳をとって身体の機能がどんどん衰えていくのは悲しいし怖い。これは生を諦めるために必要な変化なんだろうか。
そして家族にとっては、長く病院に通ったり介護し続ける疲労がだんだんと蓄積されることで、徐々に家族の死を受け入れざるを得なくなるような準備期間として作用するのだろうか。
「もうここに居たくない
知らない所なんだもん
私、重病なの?」
「重病だよ、大腸癌だよ」
「薬で苦しくないようにしてもらってるけど、そうしなかったら苦しくていられないよ」
「そうなのかー。そういう引導渡されてるのね」
「そうか、ワタシ重病なのか」
「残念ながら重病」
「おばあちゃんに頼んでた通りになった」
「何を頼んだの?」
「早く連れてってって」
「(昔のボーイフレンド)はしょっちゅう迎えに来る
「早く来いよ、こっちで面白い話がいっぱいあるんだ」って」
それは面白そう
「藤井風くんかける?」
「不思議なんだけど、今聴きたくない」
「(病気の)気を送っちゃうといけないから」
2025年12月05日(金)未練
「わたし重病なんだって
知らんかった」
「藤井風を応援しながら
90まで生きたかった😢
あの子これから失敗するんじゃないかと心配
励ます人がいない」
「未練は残るな」
「風くん?」
「うん
立派になって欲しい」
「もう充分なってるじゃないの」

掃除の人にならい妻が日替わりでキャラを描く
2025年12月06日(土)話せた日
話せた日
わりとぱとら節
先生を困らせてるかも?
「死ぬ気がしない
殺されるんじゃないか」
東大では「なんであたし死ねないの?」って言ってたよ、って指摘したら笑ってた。
アメ横でマグロ中トロの冊を買っていく
心太のリクエスト
妻がコンビニ店員さんに尋ねたところ、トコロテンが通じなかったそう。
おじいちゃんとおばあちゃんがそれぞれ亡くなる少し前のこと
おじいちゃんはお肉を食べたがったのに、典子伯母さんが肉ではなく魚を買って来たそう
おばあちゃんはお煎餅を食べたがったけど、煎餅が無いので焼きおにぎりをぱとらが食べさせた
おじいちゃんおばあちゃん気の毒、という話に。
「ぱとらはなんでも食べたいもの買って来て貰えていいね」
「ワタシの方が金持ちだもん」
「何言ってるの!?おじいちゃんとおばあちゃんのおかげなのに」
2025年12月07日(日)反省
行列の店のところてんとあんみつを買って行く
この日は荒れ気味
「こんなに早く死ぬの?」
「毒盛られた
誰も来ないから何も食べてない飲んでない」
風くんの海外向け番組の放送日を看護師さんがホワイトボードに書いてくださっていた
けれどどうやら国内のテレビでは見れない模様。
「(看護師さんたちが)みんな見たがってんだよ!」と怒る
「みなさん仕事中だから」
結局YouTubeで見せてなだめる。
「享くんってホントは残酷」
急に批判的になった僕の態度を感じ取り不満を述べる母
「ワタシが死んだら一番喜ぶんだよムカつくと思わない?」
優しい気持ちになれない日もある。昨日の話のことや、相変わらずのキツい物言い
でも今それを窘めても酷な話なのだろうと思う
今更変わらないだろうとも思う
こうはなりたくない
しかし母を見ていると自分がどうなるのかわかる。身体中の筋肉が消失して動けなくなるのだろう。そして自分は母よりももっと早くそうなりそうだ。既に去年より身体が動かなくなって、実は寝返りをうつのが難しくなってきている。
妻に優しく介護される様子にモヤっとするものがある
昔は大変で、母と妻の物理的距離を遠ざけるためにパリに移住したようなものだったから。
「優しくできるのは今だけよ
いろいろ思うところはあるだろうけど、優しくしてあげて」
と妻に窘められる。たしかに。反省。
妻はとっくに母と和解していて、悔いを残さないように出来るだけのことをしようとしている。
昔から、母が誰にでも躊躇なく怒りをぶちまけて事を荒立てるのが嫌だった。けれどもそれで不思議とうまくいく。本人もストレスをためず怒りを引きずらない。ただ事を荒立てたくなくて言いたいことも言えない僕の方が、実は見習うべきなのかもしれない。
そんな僕でも母はいつも評価してくれた。
「身体が不自由なのに奥さんを食べさせてパリに住んでるんだから大したものよ」
よくそう言ってくれても正直たいしたものとは思えなかったけれど、こんな風に常に背中を押してくれた母の、本気かどうかも怪しい発言に腹を立てても始まらないしフェアじゃないだろう。ましてや彼女は今死の床についているのだ。
2025年12月08日(月)ふみちゃんいいなぁ…
イチゴプリン🍓🍮
成城石井ジンジャーエール
ところてん
コーヒーにアイスを入れてみる
M澤さんから、いざというときの説明
・泊まり
・死装束
・葬儀社等
一段階悪くなったかも
春巻
フカヒレスープ?
手を握るとぼくの手が暖かかったようで、
「ふみちゃんいいなぁ…」
その意味が妻にはわかったそう。
2025年12月09日(火)妄言
「イヤな夢見た
刑務所
わたし誰か殺したの?」
「そんなわけないでしょ」
「あぁよかった」
「返してもらってないものがある」
「馬」
「門に飾るの」
ジンジャーエール口内炎に沁みる
「あと一週間くらい?
寿命!」
「いつ退院?」
「彼女たちを驚かせた
コーヒー
あれ?ネムイ」
「ひとこと
言葉がある
なにさこのイ◯ポ野郎」
「ひどくない?w」
「いぃんだよ」
「ふふふ」
「じゃんけんぽん」
「火事に気をつけて
あぶない
早く帰れ」
「干物のお皿は?
干物焼いてるんじゃないの?
あら残念」
「病院で干物焼いたらさすがに怒られるでしょ」
イヒヒという笑い顔
ストローを使わずに紙コップからお茶を飲もうとするも、もうコップを持てない
ふみちゃんに支えてもらってコップから飲む
「あー美味しい!」
2025年12月10日(水)病人に飲ませちゃダメな飲み物
午前中神田寺の住職浩志さんに電話してあらましを伝えた。浩志さんは母のはとこで神田寺には僕と母が建てたお墓がある。
おばあちゃんは寺の娘だったので親戚の四分の一はお寺だ。
神田寺は2階なので車椅子では無理。こちらの葬儀社で手配した先に来て頂くことに。
オシッコが出ていないそうで大問題
尿道にカテーテルがどうしても入らない
東大病院でも失敗、永寿でも2回失敗
明らかに状況が悪化
「首がない、男
消えた」
「うるさい」
「帽子かぶって(ふみちゃんに)」
「かぶったよー」
「似合う!
形見にあげる」
「ありがとう!」
「ジンジャーエール」
病室の冷蔵庫には5種類くらいのジンジャーエールが入っている
「甘くないやつ?」
「うん」
「ウィルキンソンのノーマルがいちばん甘くない、辛いけど」
ひと口飲んでうぇ〜という表情になり、
「いいけどさ、からい」
混濁した意識が一瞬正気にかえった
でも後で飲んでみたらふたりともむせてしまい、こんな辛いのを病人に飲ませてしまったことを激しく後悔…🙏
2025年12月11日(木)先見の明
小水が出たとのことでひと安心
話はほとんど聞き取れない
「わたし先見の明があるの
悪い女だと思われてるけど」
慣れたのもあり病院へ通うのはそれほど苦ではなくて、普段は引きこもりなのに毎日外に出て街の様子を間近で眺めるのは悪くはない、気分転換になるし。
それに昔は僕の方が見舞ってもらう立場だったので、例え何もできなくても毎日通うことに意味がある気がする。
とはいえ僕は電動車椅子に座っているだけだからいいけど、毎日往復一時間を歩く妻は大変だろうと思う。けれどもひと言も嫌がらず当たり前のように毎日通ってくれている。
2025年12月12日(金)着替え騒動
「みはしのところてん買ってきましたよ」
「喉かわかない?」
「しゃべるな
しゃべるな
だまれ」
「みず」
「おそい」
「うるさい」
「しゃべってないよ?」
「ぜんたいが
うるさい」
「じゃあ風くん大音量で聴くか!」
うなずく。
面会時間があと1時間というタイミングで、死装束用にリクエストされて持ってきていた白いピエロ風ドレスを着たがって困ったことに。母は太ってしまったのでもう入らないのだ。
看護師のS濱さんにも説得してもらうも聞かない。
それに着替えるとなると腕に繋がっている皮下点滴のチューブを抜かなければならない。
突然の着替え騒動勃発。
母の無茶振りに必死だがうまく応えられない妻。
「バカ」
「うん、知ってる」
S濱さんも協力してくださり、すったもんだの末、妻が衣装の背中を切って身体の上に乗せることにした。

「かわいいでしょ
大笑い婆さん」
「かわいいー!」と妻と看護師さん。
「おでこを出すなって言ってるだろうがばかたれが」
「なにその暴言😟」
「おでこだしたくないの」
写真を撮ったら気が済んだのか、脱いで元の豹柄に着替えた。
妻曰く、これは記憶に残る思い出になるとのこと。
2025年12月13日(土)
S濱さんから説明
入院時より呼吸が弱っている
付添は眠れないので長くはお勧めできない
人は生まれるときも逝くときも自分でタイミングを決めているのではないか。苦しくないことを優先に、場合によっては呼吸停止後にご連絡することになるかもしれない、とこのと
ずっと眠っているのでちょうど来日されている釘町彰さんの個展オープニングに品川へ。
車椅子ごと乗れるというジャパンタクシーに初めて乗ってみた。
帰りはバスと山手線で御徒町で降りて病院へ戻った。
「あんたたちにいい忘れてた事がある」
その後は聞き取ることができず、それが何だったのか結局わからなかった。
この日その他に唯一聞き取れたのは、
「もう帰っていいよ」という言葉。帰り道を心配してくれてるんだなぁ。
「あと15分で(面会時間終了の)8時だからそれまで居るよ。」
2025年12月14日(日)
午前10時少し前に看護師のK山さんから電話。血圧が70まで低下、苦しまずに眠っているのでこのまま息をひきとる可能性があるとのこと。
雨の中病院へ急ぐ。
間に合った。
手が暖かい。
穏やかな表情で眠っていて安堵。
雨が止み、陽射しが差し込む
呼吸の間隔がゆっくりになってきたことに妻が気付く
「ありがとう
頑張ったね
ぱとらは凄いよ
お疲れ様でした」
「本当によく頑張ったね
最高のお姑さん
最高のお母さん」
僕たちふたりが見守る中、16時頃呼吸が止まった
母は食事をろくに摂れないにもかかわらず、全くやつれなかった。
シワもなく肌も綺麗で83歳には見えない。
緩和ケアは現代の安楽死なのかもしれない。
末期癌になった場合は受けたいケアだった。
全ての関係者の皆様に御礼を申し上げます。
そして妻の献身に感謝を。
母には伝えるべきことは言えたんじゃないかと思う。けれど、もう話せないことがとても寂しい。




