ひょんなことから、中学の同級生とビデオチャットすることに。
ダイバーシティやバリアフリーについてのコラムを書くために、中学時代のことなど質問したいそうで。
参加メンバーはコラムを書くM世ちゃんとドラム仲間のN夫とぼく。
中学時代に始まりその後のあれやこれやの思い出話で当時の記憶が蘇る。
それで出てきた話。
20代の頃に骨折で入院してたことがあって、そのときN夫が見飽きなくて癒し効果のありそうな魚の玩具を持ってお見舞いに来てくれたことがあった。
N夫いわく、
「今だから言うけどそのときイチダが言ったことを聞いて、コイツにはかなわないと思った」とのこと。
どちらかというと辛口なN夫がそんなことを言うもんだから驚いた。
「えっ!? 何を言ったの!?」
忘れっぽいので自分じゃぜんぜん覚えてないけど何かイイ事を言ったのかも?と期待が膨らむ。
「こんなんなったから (骨折で入院してるから)、みんな会いに来てくれるんだよ」って言ったそう。
「え???ごめんそれの何が!? ぜんぜんわからない」
「わからないってことも含めてすごいなと」
名言を吐いたわけでもなくて正直なところガッカリしたんだけどw
何故それが彼にとって印象に残るようなことだったのか本当に全くわからなかった。
で、後で奥さんにその話をしたところ、
「あ〜。」と合点がいった様子。
奥さんと知り合ったばかりの頃、詩人の友人の朗読に合わせてピアニカを弾くユニットをやっているということだったので、じゃあ近所のスタジオでセッションしようよ!ということになり。
そのとき未来の奥さんと詩人のT氏を愛車のジープ・チェロキーに乗せたことがあった、らしい (自分じゃ忘れてた)。
それで「(脚が不自由なのに大きな車を) 運転とかしてて凄いね」というようなことを言ったら、
「だってさぁ、電車乗るのイヤじゃん?」
という答えが返ってきたとのこと (これも自分じゃ忘れてた)。
それを聞いて「そうかぁ、そうだよね」と妙に納得したそう。
奥さん曰く、普通ならネガティブに捉えるようなことでも本人は気にしてないどころか明後日な答えを返してくるのがぼくという人、らしい (自分じゃわからない)。
それを聞いてよく考えてみたらつまり、脚を骨折して入院・手術というネガティブな事態にもかかわらず、そのおかげでみんながお見舞いに来てくれるんだ、っていうポジティブな思考をしてたことをどうやらN夫は評価してくれたのかな、ということみたい。
正直、自分では思ったことをそのまま口に出しているだけなので実はよくわかってないw😅
人は自分にとって当たり前のことって他者にとってもそうだろうと思いがちなバイアスがあるけど、これもその一種なのでしょうか?