30/12/2017

今年をふり返ったらひっくり返った話

とは言うものの、2017年の評価は難しいのでございます…。
強いて言うならば、苦難の中に小さな幸せを見出す旅だったとでも申しましょうか。
そんな1年を、駆け足で!

  1. こっそりテレビに出たらバレた事件
  2. 東京入院デート
  3. ひっくり返って入院事件

こっそりテレビに出たらバレた事件

まだ寒いパリの1月、なぜかバラエティー番組の取材カメラの前にいる自分。いったいどうしてこんなことに…

前年の5月頃、テレビ局の人からタレントの野々村真くんの同級生を探している旨会社のメールフォームから連絡がありました。
そう、野々村真くんは実家が近所で幼馴染なのです。
海外に居ることもあり丁重に辞退したのですが、パリまで来てくださるとのこと、っていうか来る気満々のご様子。
小学生の頃、真くんのお母さんにはたいへんお世話になったので、少しはお役に立てるならと結局了承、断れない性格。
その後半年以上が経ち、もうその話は立ち消えたのだろうと安心してすっかり忘れた頃、撮影となったのでした。

けれども慣れないことでもあり、ああすればよかった、こう言えばよかったと後悔ばかり。。。
放送されるのが猛烈に気が重くて誰にも言えませんでした。
その後更に半年が経ち、きっとお蔵入りしたに違いない、と都合よく解釈していたら非情にもオンエアに。

番組は無難にまとめてくれていて、何よりほっとしたのは怒るかと思った母が意外に楽しんでくれたことでした。
それに音信不通だった懐かしい友人が何人か連絡をくれて嬉しかったです。
真くんも番組収録直後とオンエア直後にあったかいメールをくれて旧交を温めたのでした。
ぼくがちょっと恥ずかしいのを我慢することで皆さんに楽しんでいただけたのなら良かったです。

東京入院デート

3月末から6月頭まで、妻の長年の持病の治療のため日本に帰りました。
いろいろ思うところがあって、手術を受けるならやはり日本が安心だよね、と。
入院先は実家の窓から見える近さの大学病院。
入院中、妻の方からもぼくの部屋の灯りが見えたそうで、とにかく近いので電動車いすをレンタルして面会に通いました。
今までの人生、お見舞いに来ていただくことはあっても自分がお見舞いに行くことはほとんどなかったのでなんか新鮮!

病院はさすが日本の最高学府、極力身体に負担をかけない方法を試みてくださり有り難かったです。
奇跡的にキャンセルが出て早く手術を受けられたことといい、非常にラッキーでした。

退院後は妻は藤沢の実家でゆっくり静養させてもらっていましたが、回復してきてリハビリを兼ねデートすることに。
駅前の公園で待ち合わせ。待ち合わせなんて何年ぶりだろう…。
パリのアパートはちょっと段差があって独りでは出られないんですが、実家は一応バリアフリーなので、電動車いすで一人で外出できるのがとても楽しいんです。単独外出も何年ぶりだろう…。
ランチを食べて美術館に行きました。
ただ夫婦が別々の場所へ帰るっていうのは変な感じですね、帰る場所が一緒なのが夫婦の良さだから。

それにしても滞在がとても長かったので母に凄く負担をかけてしまいました。妻も病み上がりだったし。
普段なかなか会えない人にたくさん会えたことや、久しぶりに満開の桜を見れたのも良かったのですが、長い滞在に耐える体力が家族みんな無くなってきているようです。

ひっくり返って入院事件

どうも今年は小さな冴えないことが多くて、ハッピーなコンサートの帰り道に追突されたり、駐車違反の罰金請求が何度も来たり。でもそんなのはまだまだ序の口でどうってことなかった。

11月11日、外でちょっと妻が離れたときに、車イスで低い段差を自分で降りようとして後ろにひっくり返ってしまったのです。
これが老いというものなのでしょうか。
段差を降りる際の様々なテクニックを瞬時に忘れ、為す術もなく倒れる様を、中学生の頃の自分が見たら、
「何やってんの、、、ダッセー」と呆れること間違いなしです。

とりあえず帰宅し、後頭部にコブはできたけど帽子を被っていたし大丈夫かなと寝ていたのですが、右目が殴られたみたいに青く腫れてきたのでこりゃいかんと妻がSOS médecin(救急往診)を呼びました。
来てくれたドクターは「大丈夫だと思うけど救急車呼ぶよ」と。
そんなわけで3日間ほど検査入院したのでした。

結果、あちこちヒビが入って内出血あるけど幸い手術の必要はないそうで、自宅療養となりました。
面白いなと思ったのは、こちらは退院するときも救急車で連れ帰ってくれるんですね。

ケガしたと聞いてサバンナカフェのリシャールがスープやレバノン料理をたくさん差し入れてくれたり、家族のような友人coCoちゃんがとん汁や焼豚を持ってかけつけてくれたり、オノデラユキさんアキルミさんご夫妻が羊鍋を差し入れてくださったり、もう涙が出るほど有り難くて美味しかったです。忘れられない味になりました。

最初のうちは寝返りをうつ度に頭の中で「ミシッ」って音が鳴っていたのも、栄養を付けたおかげかいつの間にか鳴らなくなり、1週間でだましだまし復帰、3週間経つ頃にはすっかり良くなりました。
仕事しながら(前にもこんなことがあったな〜、でもあのときよりは仕事的に楽)と腰椎骨折したときのことを思い出したり。
て言うかケガの多い人生だな〜、骨折くらいなら仕事に影響ないです、はい。
それにしても1年間に夫婦で3回も入院というのはちょっと……気をつけなくてはいけませんね、反省。

ちょうどそんなとき、入居を希望していたバリアフリーアパートの審査が通ったと電話があったのでした。
まるで、それまでの不運を埋め合わせてくれるみたいに。
そんなわけで、16年住んだアパートを引っ越すことになりました。
子供の頃から引越の多かった妻にとってこの6区のアパートが人生で最も長く住んだ場所なのだそうです。

こうして振り返ってみると、そんな悪い年ではなかったような。
今年もたくさん助けられて人のご縁に感謝した1年でした。
2018年は変化の年になりそうです。

  

4 Responses to “今年をふり返ったらひっくり返った話”

  1. わび@もうじき年女脱出 30/12/2017 at 3:23 AM

    テレビのオンエアのときは手術台に上がるときより緊張したでよ。
    ひっくり返って入院事件はまだ記憶が新しい…。
    みなさんの真心が沁みました。
    そして今、引越しのダンボールと奮闘している不思議。
    沢山の人達に助けられた一年でした。
    どんなに感謝しても足りないくらいです。
    ありがとうございました。

  2. aome 13/1/2018 at 4:09 AM

    いろんなことがあったのねぇ・・・しかし「終わりよければ、初めもよし」違ったか ? 引っ越し、16年も住むと大変なことでしょう。ま、なんとかなるよ、大丈夫・・・今までなんとかなってきたように・・・乗り切れる。迷惑かけたり掛けられたり・・・それが家族、友達・・・ということでしょうか。新しい生活も楽しくありますように。年女・・・今年は私の番となりました。

    • Kyo ICHIDA 14/1/2018 at 1:15 PM

      その後おふたりとも体調は如何でしょうか?
      こちらはダンボールの山に埋もれて暮らしてますが、友人たちや家族の助けで仰る通り何とかなりつつあります。
      年女とのことで、この一年無事に過ごせますように。
      今年もよろしくお願いいたします。