| プロフィールを見た友人数名から「そういう過去があったのかあ」などと言われ、うっかり調子に乗って蛇足をつけてしまいました。 |
生まれてみると |
筋肉に遺伝的な疾患があることが5才の頃に判明。出産前に「あなたの筋肉の病気は子どもには遺伝しません」と医者から説明されていた母、落胆。 |
超落ちこぼれ |
どのくらい落ちこぼれていたかというと・・・、先生に質問をされても何を尋かれているのか分からず、みんなが教科書の何ページを開いているのかも分かりませんでした。(涙) |
事故&貴重な経験 |
11才になる少し前のある日、学校から帰る途中で信号無視のトレーラーに轢かれました。 苦しみの最中にあったときは子供心にトレーラーを運転していた人をとても憎みました。早くこの謂れのない苦痛から逃れられることだけを祈っていました。けれどもこの事故のもたらしたものは悪いことばかりではありませんでした。様々な人達との出会いを通して、いろいろなことを考える機会を与えられ、それまでただ殻に閉じ篭ったようにぼんやりと生きてきた僕が初めて世の中と折り合いをつけていくことができるようなったのですから。 ただ、今気になるのは、あのときのトレーラーを運転していた人がまだ自分を責めていはしないか、ということです。あれから20年経った今、そんなことはもう忘れてしまっているかもしれませんし、そうでないかもしれません。「もう気にしなくていいですよ」と言いたいけれど、今となってはなす術がありません。 |
びっこのドラマー |
ドラムは中学の頃始めました。中学の音楽の先生(打楽器科出身の超ハードボイルド女教師)がなかなかにユニークなかたで、最初の授業で生徒全員にドラムのスティックが配られたのでした。そういえば当時音楽室にはドラムセットはもちろん、シンセや何故かレスリースピーカーまであったっけ・・・。しかし何故レスリースピーカーが中学校に? ちなみにかれこれ20年近く一緒にバンドをやっているベーシスト甲太郎は当時、エレクトーンの下に潜り込んで足踏み用鍵盤を両手で素早く連打してテクノをプレイしておりました。 |
渡仏&居残り |
パリで2週間くらい観光して帰るはずだったのですが、つい居残ってしまいました。大学も楽しかったのですが残りの2年間はなんとなく予想のつくものだったし、何より、してしまったことを悔やむよりしなかったことを悔やむほうが後悔が大きいといいますもんね。 残ると決めてから外国人のためのフランス語学校に入り、そこで下宿を紹介してもらったりしつつその後2年間のパリ生活の幕はあけたのでした。 |
楽しい貧乏生活 |
この頃のことはちょっとやそっとでは書ききれそうにありません。そのうちにまとめたいものです。 |
無茶な生活 |
朝9時から翌朝3時頃までかかることはザラ、日曜日は運が良ければ休めることもある、といった具合でたいていの人は3日で逃げ出してました。 あまりに忙しく、出来上がったCMがテレビで流れる頃には(そもそもTVを観る時間がほとんどないのですが)「ああ、そういえば昔これやったっよねぇ」とか言いながら栄養ドリンク片手にデザイン画描いてました。この上なくハードでしたがいい勉強になりました。 |
Macintoshが(比較的) |
マックは勤めていた頃から気になっていたのですが、カラーの機種は当時100万円以上したしまだ日本語の表示も怪しい状況でした。 それで、ClassicとLC、IIsiが出てやっとなんとか検討の余地がある価格になったのですが、今思うとそれでも凄く高かったですね。そう考えればいい時代になったものです。 もしも最初のコンピュータがマックではなかったとしたら大分違った展開になっていたでしょう。HyperCardを知らなければプログラミングに興味を持つこともなかったでしょうし、仕事にコンピュータを使うようになったかどうかすら疑問です。(今ではNTやLinuxも使うけど) もともと絵のように反射光で見るものよりもポジのように透過光で見るもののほうが好きだったので、ディスプレイでものを見るのはすぐ好きになりました。 |
エキスポのモニタ |
これはただただラッキーでした。128Kの専用線が使えるようになったおかげでインターネットに対する認識が変り、仕事の進め方も変りました。サーバを自宅に置けるので作業経過をWebにアップしてクライアントにURLとPasswordを知らせて見てもらい、専用線で常時メールをチェックできるため、打ち合わせで直接行き来する必要があまりなくなりました。 |
某有名美術館 |
この美術館、たしかに名所なんですが昔パリに2年間住んでいた頃には実は一度も足を踏み入れたことがなく、今回初めて通いました。 というのもたくさんの作品を一度に観ると非常にエネルギーを消耗してしまうもので・・・。 |
出会い |
特に日本マイクロソフト社の古川享会長(当時.現在米国マイクロソフト社バイスプレジデント)からたいへん勇気をいただきました。
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